あの日あの場所で凍り付いた時間が 手を伸ばしてももう届かない

時をかける少女」みてきました。サンクリK-BOOKS(初めて自分の書いた同人誌が棚に並んでるの見ちゃった…売った人にもちょっとでも楽しんでもらえたんならいいけど)→通りかかった映画館でちょうど時間がよかったので。
それはそれはべそべそに泣いてもう鼻水だか涙だかわかんない状態になり、そういえば今日はポーチに化粧直し用のパウダーも入ってないしマスカラがウォータープルーフじゃないことを思い出したのは場内が明るくなってからでした。…顔面崩れてなかった!私は基本涙もろいのですが、自分でいうのもなんですが泣き方がうまいと思います!
隣の女の人もぐしゅぐしゅに泣いてたなー。私と泣き出すタイミングがほぼ同じでした。真琴が最後のタイムリープをするあたりから場内鼻をすする音が…(客層はサンクリ流れの人が大半です)
劇場を出て雨脚の強くなった池袋の街を走りながらshuffleから流れてきたのは「パーフェクトスター・パーフェクトスタイル」でした。

ありのまま揺らがないように 後ずさりなんてできない
愛の前に悩まないように 後戻りなんてできない


私はかつて「世界の中心で愛をさけぶ」(映画版)*1を観て、「ああ私も学生時代に恋したかったよ」と我が身を呪って泣くという制作側の意図から120度くらいずれたあたりで号泣してしまったのですが*2、あと、私の経験上には存在しないはずのリアルに、そしてノスタルジーに泣いてしまったことがあります。「ほしのこえ」でもそうでした。私には男の子と自転車に二人乗りして夕焼け空を見た記憶なんてないのに、でもミカコの「わたしは ノボルくんに (伝えたかった)」(そして途切れて伝わらなかった言葉)夏の夜のコンビニ、ガードレール、踏切、廊下、教室、黒板、どっわーーーーーーー(滝のような涙)私の記憶の中にはそんな男の子への気持ちは存在しないのに泣ける。伝わらなかった言葉に泣ける。泣く女の子を見て泣けてしまう。存在しないはずのノスタルジーがガンガン刺激される。
時かけ」には似たようなものがありました。同じではないけど。あと他の要素もあった。なんだろねこれ。つづく。

*1:未來のために観にいった。未來ファンとしては満足しました

*2:体育館のピアノのシーン、大沢たかおが電話するところで号泣←ふつう泣くところではありません。彼女が発病してからはすごい冷静