遠征と私とテニミュ

今日もJCBホール行ったら公演やってそうな気がしてしまうんですよね…そんなことあるわけないのにね。
自己満足の回顧録

06年3月

いいネタになるかしらと思い、ちょうど発売日に秋葉原にいたため関東氷帝再演のDVDを買ってしまう。ネタで買うには高い買い物だった。店頭で「た…たっけえ!!」って思ったのを覚えている。そしてそれをレジに差し出す私をS屋含む友人たちがプークスしながら眺めていたのを覚えてる。その後自分達も大変なことになるとは知らずに…。
最初は爆笑しすぎてなかなか先に進めなかったのだが、かとべパワーによりあっさり陥落。延々とDVDを再生する仕事に就く。休日に連続再生しすぎてDVDデッキが反乱を起こすこと数回。

06年6月か7月

六角公演先行に挑むも惨敗。この頃は最後のロッピー一択でしたね。やっぱりハードル高いねえ…と諦めムード。

六角公演(06年8月)

名古屋

「…平日の追加公演まだチケットあるんだけど!!」「よし、行こう!!!」有休取って日帰りした。思えば最初から遠征だった。DVDで散々見た人たち(あいばさんとか氷帝)がそこに存在していることに感動。OMWの洗礼を食らい*1放心状態で帰京。結果的に3代目を最初から見守ることができて本当によかった。

関東立海1st(06年12月〜1月)

一気に観劇回数が増えてしまった。小金持ってる社会人はこれだから…前回の反省を踏まえ、写真も全種買いました。これは4年たってもまったく後悔していない!今でも関東立海公演はあの時点での「テニミュ」のひとつの完成形だったと思っています。サン劇の凱旋公演は行けなかったけど、あんな狭いとこでやったなんて未だに信じられない……

東京(青年館)

はてな経由で初日チケットを譲っていただく。その節は本当にありがとうございました。初日独特の「誰も内容知らないからとにかくわくわくしている感じ」をよく覚えてる。1曲目のハモれてないハモもよく覚えてる。立海の人たちを見て「赤也の子うまいな!」→推しメンがいると3倍楽しい、の法則がついに発動。S屋は黄金にはまり始めていた……

大阪(メルパルク大阪)

31〜1/2まで滞在。私のン十年の人生の中で家族以外と遠隔地で過ごした年末年始はこの年だけ。正月なので全然店があいてなくて新大阪駅構内で食事をすませてたこと、3日間で4回見てクラクラしたこと、出演者たちも一部クラクラし始めていたこと、とか、思い出です。メルパルクはこぢんまりしたいいホールだと思う。

名古屋(中京大プルニエホール)

凱旋が取れなかったのでどうしても最後のほう見たいよおお!!ということで無理矢理行った。確か黄金と大石のテリトリーで泣いちゃった記憶。滝口はいい大石だったよ!!!!

07年3月

なんだかんだあって謹慎生活に突入する。ここから1年間の私の私生活及びミュライフの激動ぶりはちょっと…我ながらおかしいとしか思えない。
ドリライ4は当日券を当てたS屋が詳細なレポートを書いてくれました。友達っていいな。

関東立海2nd(07年8月〜9月)

「基本的に会社以外の外出禁止」「会社帰り寄り道禁止」という制約の中8回も見にいった挙句遠征までこなしている…冷静に考えると意味がわからない。というか物理的に可能なのかそれは…って感じですね*2。それくらい当時の私は本気だったということです…(?)
3代目卒業。3代目への思いいれって格別で、やっぱり今でもものすごく特別な代なので、本気で追うことができてよかった。あの頃のまだ若々しくて初々しかった立海と、アイドルグループな3代目の対比は本当に素晴らしかったと思うよ。

東京(青年館)

初見最前列でワナワナした。この公演は8回中3回最前列だったんですよね…たぶん他のいろんなことを犠牲にして得た幸運だったんだなあ…。しかし肝心の初回記憶は風林火山で吹っ飛ぶのだった。とにかく風林火山インパクトと南とかねちゃんとドーリと元気とあいばさまである。

香川

今でも語り草になっている「家には出勤していると見せかけて代休を取り香川で昼公演を観て夜7時過ぎに帰宅」というアクロバットを敢行した。…ほんとに無茶だよね!わかってるよ!朝はふつうにお弁当作っていってきまーすって出てきて空港からタクシー直行で観てまたタクって空港で弁当(手作り)食べて東京。結局うどん食べずじまい。大阪で覚醒したという小野を見て感激に打ち震える。芝居のやり方がわからなかった子が何かをつかんで一気に覚醒するっていうのがテニミュではよくあるけど、あれ目撃しちゃうとほんとやばい。これだからやめらんねーよ!みたいなー…

岐阜(市民会館)

遠征した上宿泊している。本当は千秋楽見たくて見たくて仕方なかったけど、もし行っていたら帰りの豪雨で新幹線ストップ→帰れない→家バレ→死亡確定だったのでいけなくて正解だったのです!です。
3代目卒公だというのに締めがこんな…(岐阜のみなさんごめんなさい)駅から徒歩15分てウソだろ!とか猛烈に暑い!!とか、3列目だと思っていったら最前列だったとか、いろいろ思い出深いです。目の前で生身の人間が必死な顔して汗迸らせて走り回って跳躍して歌って踊ってる姿見たら自分でもびっくりするくらい涙が出ました。相葉不二のあの般若のようなギランギランの視線はたぶん一生忘れられない。
長くなっちゃったのでつづく。

*1:今でも鮮明に覚えてるよ!ませいとがくさんだった!

*2:両親はこの頃よく泊りがけで出かけていたので、私の事情を汲んだ母が父を連れ出して家をあけることがままあり、それに合わせて抜け出していたんですね…あと岩盤浴とヨガは継続許可出てたのでそのへんを巧妙に…