自分語りはっじまっるよー

現在27歳の私ですが、同世代で10代初期からオタの気のあった女子はたいてい高河ゆんCLAMPの洗礼を受けていました。よね?私はギリギリ白泉あたりで留まっていて角川新書館方面への進出が遅れたので、多感な時期にこのオタ女子思春期二大巨頭に触れることなく来てしまいました。後者は東京バビロン・Xを読んだのが遅かったのが大きいです。CLAMP学園は自分でコミックス買ってよく読み返したんだけど(画面が華麗で、視覚的に楽しかった。同じ理由でレイアースCCさくらも順当に)、バビロンは高1になってから友達に借りた…はず。そしてそんなにズガンとはまることはなかった。「なんかすげえ!」とは思ったけども。
高河ゆんのほうはもっと接触が遅くて、名前は知っていたし周囲のちょい濃い系オタ友は「源氏」「アーシアン」あたりを基礎知識として持っていたから「そういう漫画家さんなんだー」程度には知っていた。でも読まなかった。今みたいにコミックスをぽんぽん買えるお財布事情じゃなかったし当時はコバルト文庫と白泉系に傾倒していたのでがゆんまで手が回らなかったんだなー。
(私の腐女子脳が本格可動したのは16〜17歳*1くらいからなので、「ここはグリーン・ウッド」とか「っポイ!」(初期)とかくらいの友情や絆の強さは大好きだったんだけど、星史郎さんみたいな一般的でない(正気から遠い)方向の(男性同士の)執着関係というものにあまり興味をひかれなかったのかもしれない、と今気付いた)(後述のオーラバは今でも私の中ではあまり801萌えとは直結しない。互いに執着している関係のキャラがいっぱいでてくるけど、それはほもというより一人一人の「思春期」「10代」(もしくはひととして、とか自分の存在意義とか価値とかそういう方向)という苦悩のほうだと私は解釈していた、いる、ので。まあ何年も前に追うのやめちゃったから今どうなってんだかわかりませんけど。オーラバの場合は「キャラの関係性」(やおい)じゃなく、キャラ一人一人、それぞれ個体の苦悩として受け取っていた…というか…)


そんなこんなでスルーしていた私に降ってわいたがゆんは「ハイスクール・オーラバスター」のイラスト交代でした。あれは本当に衝撃的だった。いろんな意味で衝撃的だった。当時は学校のコバルト友達たちと放課後のひと気のない教室でコバルト広げて「こ、これは…」「おお…」「なっ、この、な、ま、き、きさらー!!!!!!」「十九郎めがね十九郎めがねめがねm」みたいな状況だった。そもそも杜真琴高河ゆんという変更がショックでかすぎた。少女漫画の、ほそーーい杜さんの絵から急にアニメ的な立体感*2のあるキャラになって、ものすごく戸惑った。若木高河ゆんが親しげなのも戸惑った(笑)「ただでさえ若木が遅筆なのにイラストまで仕事遅い(?)なんて不吉すぎる!」と心配した。実際(略)
客観的に見たらがゆんの描いたキャラのほうが文中の描写を正確に表していたし、個人的に変更が嫌だとかどうしても前のじゃなきゃ!!1!ってわけでもなかったんですけど、傷つき悩みまくるオーラバのキャラたちのセンシティブさや華奢さという面についてはがゆんキャラは骨太*3に感じ、違和感はあった。…まあなんというか微妙な気分だったわけですよ。
私にとっては高河ゆんとはそういう「中学高校時代の友人たち」と「私個人の微妙な気持ち」とセットの作家さんです。マイナスイメージはそれほどない。(原稿載らないとか完結しないとかそういうマイナスイメージはあるけど)


それとは別の話で、10代中ごろに高河ゆんにハマっていた人達が当時みんな「腐女子」だったかというとなんとなく違和感感じるんだけどなあ。おたく(気質を持っている)ではあったかもしれないけど。高河ゆん腐女子という等号式には疑問を感じるよ。ラブレスのせい?


あ、もちろんガンダムはみるよ!楽しみにしてるよ!

*1:1996年。前年にガンダムWが放映されぜっさん踊り狂い中だったが放送中は腐ってなかった。むしろやおいを嫌悪していた。すべりおちるように覚醒した理由と原因は自分でもよくわからない…

*2:変な表現だけど少女漫画的二次元的人体から急に見た目年齢が上がってアニメっぽい表情があって厚みのある人体になったもんで

*3:がゆん絵で骨太って!という感じだけど杜真琴がめちゃめちゃ細い人体を描く人で、キャラの表情の変化も乏しかったので…